オオタニサンのおかげで思い出したこと

今日はメジャーリーガーの大谷選手(オオタニサン)が、本拠地でリアル二刀流で出場。さらに、カリフォルニアの球場は今日から観客の入場制限が取り払われたとのこと。

テレビで見てもファンの興奮と熱気は伝わってきたし、一緒の空気を共有しているのがとても心地良さそうで、なんとも楽しそうだった。

 

正直、コロナで閉塞的な感覚が続いている中でのオリンピックの是非が取り沙汰されて、一般人としてはやらなきゃいいじゃんって思ってしまうけれど、まあ今日のオオタニサンの試合の様子をテレビで見るだけでもあんだけ興奮するんだから、そりゃあスポーツの力ってものはものすごいんだなって思い出させてくれました。もちろん、それに十二分に答えてくれる気迫あふれるプレーがあればこそだけれど。(今日のバント処理のダイビングキャッチは、思い出すだけで涙が出そうなくらい心震えた。。。!)

 

って、文字に書いたら、本当にありきたりな、無味も無味、それこそ味覚障害なんじゃないかってくらいの文章になってしまうわけなんだけれど、それを極上の時間に体験させてくれる力がスポーツにはあるものだと、やっぱり月並みな感想で振り返る今日1日なのでした。

 

コロナでリモートワークになったことでよかったことベスト3

・通勤電車に乗らなくなったこと

・自由にトイレに行けること(なんなら会議中でも)

・日中のオオタニサンの活躍が見れること

 

自由と不自由と

誰かの中にいると、孤独ではない。

でも、誰かの中にいると、自分の心がちょっと縛られる。

 

誰かの中にいると、生きていると実感する。

でも、誰かの中にいると、心がちょっとぐにゃっと形を変える。

 

誰かの中にいると、褒められることを期待する。

でも、誰かの中にいると、感情をちょっと閉じ込めてしまう。

 

 

気持ちをぎゅっとぎゅっと押し込めすぎて、辛くないかい?

その小さな風船にためていったものは、

無理やり穴を開けるか、さもなくば爆発してしまう。

 

 

この怒りを、みんなはどこに向けているの?

みんなもっともっと自由でいいんじゃないの?

 

不自由でいることの気持ちよさに止まらずに、

もっと自由でいることを。

 

ブラックバード 家族が家族であるうちに ※ネタバレあり

 

 

ポスター画像

 

生と死。

コロナも相まって、より考えるきっかけは多くなった昨今ではあるが、

具体的に身近にあるわけではありませんでした。

だからこそ、映画を通して、「死」というものの一つの解釈を捉えるのは、

とても有意義なことのように思います。

 

「ブラックバード 家族が家族であるうちに」は、

病魔に襲われる中で安楽死を決意した主人公とその家族の交流を通して

死ぬことと生きることを考えさせてくれる素敵な作品でした。

 

 

 

家族みんなが知っている事実と、知らない事実と、

本作は、海が近く、自然豊かな一軒の豪邸に家族が集まるところから始まります。

安楽死を前にして、最後に家族で思い出を作ろうというようです。

視聴者としては、誰がその事実を知っているのかはわかりません。

最終的には、ほとんどみんな知っているということがわかるのですが、

これがゆっくりゆっくりとわかるところが一つまず旨いです。

 

考えてみれば当然ですよね。

(一部の人にとっては血は繋がってないが)家族が死を迎えようとしているのに、

自然に過ごす方が難しいし、気を遣ってギクシャクしたやりとりになります。

最初はそれが、家族同士の関係性によるものだけだと思っていました。

でも実際は違う。

死にゆく主人公に対して、それぞれが思う感情があって、それを出す人も出さない人も

それぞれなわけです。

 

ところが、家族みんなで過ごしている中で、だんだんと新しい事実の発見が。。

身近な人に近づく死によって、見えてくるもの。

それは、本当は、近しい家族の間でもずっとそこにあった、

それぞれにとっては気づいていた、本当に大きなわだかまりや苦悩。

それらが家族の間で解き放たれる。

 

表面的にみれば、それらは気持ちのよいものばかりではなかったかもしれません。

そして、死にゆく本人にとっては、心地よい最後の思い出のようにはならなかったかも。

 

それでも、きちんとそれぞれが最後に一歩前へ踏み出せたであろうラストは、

自分にとっての、生と死と、家族というものを見直させてくれました。

 

 

家族だからできること、できないこと

海外の家族って、親の前で子どものカップルがキスしたり、

勝手ながら、大胆で、飾らないイメージを持っていました。

そして、自分以外の個を尊重しつつも、自分の意見をしっかり持っている強さも。

 

でも、本作の家族は、結果的に自分がよく知っているような、

本当に大切なことは本音で語れないような、そんなよく知っている家族像だったようにも思います。

だって、本当に大切なことは、意外と友達の方が話しやすかったりするでしょう?

 

ほんの少しの勇気だけれども、その勇気がないから話せない。

一番の応援者だってわかっているのに、期待を裏切る心配とか、

いろんな感情が溢れ出して反発してしまう。

特に、ミア・ワシコウスカ演じるアンナは、そんな苦しさを代弁してくれました。

 

本作では登場人物は、家族の8人だけですが、

みんなが思い思いに特徴的で、きっとその誰かの視点で感情移入できるんじゃないか

と思いました。

 

そして、自分の家族を振り返り、自分の人生を振り返るいいきっかけになると思います。

 

ジョーブラックによろしく ※ネタバレあり

  1. 魅力的な人物たち
  2. 後悔なき人生を

 

自分がこの世から去る時、どんな姿が理想だろうか?

自分の命があとわずかだと知った時、一体どんな思いになるのかなんて

今の自分にはまだ想像だにできない。

できれば。できるならば。

この世への執着がたっぷりでギトギトな脂っこい豚骨ラーメンよりは、

一瞬のさわやかな味わいと共に過ぎ去っていく関西風きつねうどんに、私はなりたい。

そんな人生の終わりに馳せさせてくれる良作。

ジョーブラックと共に、素敵な人生の終わりを想像しましょう。

 

 

若きブラッド・ピットの美青年ぷり

ジョーブラックは死神である。アンソニーホプキンスに迫る死期に猶予を与えることを条件に、この世の世界を案内してもらうという、なんとも高慢な死神だ。

そして、選んだ体がブラッドピット。彼は冒頭からコーヒーショップでなんとも詩的でドラマチックな会話をヒロインと繰り広げるが、その後に交通事故に遭ってしまい、ジョーブラックの潜入先に選ばれたのだ。

このコーヒーショップでの会話劇が本当に魅力的で、このままの二人がどんなふうになっていくのか、気になって気になってしょうがなくなる。若い男女がお店で会話しているだけなのに、音楽や雰囲気も相まってこれがなんとも愛おしいのだ。

この冒頭をはじめ、本作はそんな人生の中にあるとある1ページをとてもきらびやかに映し出すのが素敵だ。ほんのささいな日常でも、とても荘厳な1シーンへと変えてしまう。

 

そして、何よりそこに花を添えているのは、若く美しいブラピ。

入れ替わる前の青年の爽やかさも、ジョーブラックとしての寡黙で知的で自信と迷いに満たされた態度も、どちらも選び難いほどの魅力であふれていた。

最初と最後で入れ替わる時に、これほどまでに互いの存在を愛おしくなるキャラクターも珍しい。

 

たっぷりと時間をかけた二人のシーン

本作は3時間とちょっと長め。その原因の一つは、おそらくジョーとスーザンの愛し合うシーンがじっくりゆっくりと描かれていたこともあるだろう。

私は、この映画ほど、見つめ合い語り合う二人の映像を、直近でじっくりと見たことはないと思う。

ありふれた愛情表現のシーンではなくて、本当に相手を知りたいと欲し、相手を思い合う。それを短い時間の中で表現する絶妙なシーンに感じた。

それでいて、相手のことを知らないが故の迷いや苦しみ、葛藤。

目線や表情でその変化が見事に混ざり合った状態を表していたと思う。

人生の大きな出会いと別れをぎゅぎゅっと凝縮したような。

別れがある故に、愛おしくなる。素敵なシーン。

 

去り際に、後悔を残さなかったビルの生き様

改めて。本作は、死神と令嬢の恋物語が主題ではない。

出会いと別れ、生と死。それ自体の素晴らしさを謳歌するものだった。

死期に気づいてなおビルが成し遂げたかったこと。

それは、大切な人への愛。

そして、大切な人が愛してくれているということを感じること。

本作ではビルのこれまでの生き方までは描いていないが、その最後を見るだけで、いかに素晴らしい生き様だったのかがわかる。

そう、最後の一幕。それが、その人の生き様を表すのではないだろうか。

花火を背に、ジョーと歩き出す彼の姿は、もはや何の後悔もなかった。

そう言える人生を送れるということ。

人生とは素晴らしいものだと彼とジョーは教えてくれる。

3日目 読むことと書くこと

私は基本的にケチなので、あまり自分の欲しいものを買うことはない。

とはいっても、予想していなかったところからお金が舞い込んできた時は、

その限りではないと言うことを知ったのはつい先月のこと。

突然の給料アップに、とうとう重い腰が上がったわけである。

 

そこで購入を決意したのが、ipadだ。ちなみに一番安いやつ。

購入の一番の理由は、ジャンプ+をスマホで見るのには目が疲れてしまうから。

まるで紙のジャンプを読んでいるかの大きさで非常に満足である。

 

とはいっても、こんな素敵なおもちゃをゲットしたら、ついつい使い回したくなるのが

人間というもの。

さっそく勉強の足しにしようと、1万円もするapplepen(どこかで聞いたような)を

手にして、自宅でひとり鼻高々に文字を書いていくわけである。

 

内容は、最近読んでいる原始インド仏教の思想について。

自分で線を引いたり付箋をつけているところをまとめていこうか。

それとも、これまで読んできた内容を誦じて書いてみようか。

結果、前者に落ち着いて書き始めた。で、気づく。

 

読んで理解した気になっていることは、容易に言語化できないということ。

それはつまり、知識がつながりをもって形成されないから、理解されていないということ。

まるで、工場に原材料が入ってきているけれど、素敵な商品が作られることなく、そのまま通り過ぎてしまっている感じ。

いやいや、私が欲しいのは、知的欲求を満たすだけじゃなくて、それを吸収して生み出される新しい世界なのよ!未だ見ぬ、新しき商品を生み出していきたい。

 

自分の脳内にピタッと貼り付けるのは、そう簡単なことではないようである。

ともあれ、ipadを通して書くことへのハードルが下がった今、そんな気づきを得られたことは大きな副産物だ。

 

また今日も書いて、世界をつくっていこう

2日目 緊急事態延長と夫婦のお話

2021年5月末。

テレビでは緊急事態宣言延長の話題で、いっぱいだ。

夕方のワイドショーでは、コロナによるリモートワーク増加に伴って、家庭の関係がギクシャクしているという人たちを取り上げていた。夫婦であったとしても、適度な距離感というものを保たないと、爆発してしまうと言うことだろうか。

 

そういえば、当たり前だけれど、人生一度しかないわけで、世間一般という意味での夫婦というものを知っているわけではない。我が家には我が家しかない、夫婦の形の一つを知っているだけなのだ。

たまたま学生時代から交際をして、付き合った人が本当に仲良く過ごせる間柄で。異性に対して過剰なまでに緊張する私にとって、今の妻でなければ夫婦というものに一生巡り会えなかったかもしれないなとも思うくらいだ。

 

そう考えると、世の中の夫婦たちも、この生活の変化の中で、自分たちのあり方や関係性を改めて認識しているのかもしれない。一つ一つの夫婦でしか経験できない、形。

再認識したそれぞれの形は、きっと少しずつ変化もするだろうけれど、私は私で周りを気にせずに、誇らしい形を作っていきたいもんだ

映画日記『ビーチ・バム まじめに不真面目』

緊急事態宣言で東京の映画館は軒並み休業。今回、そんな中で光をさしてくれたのが、東京の西の大都会、立川にあるキノシネマ さん。高島屋の8階で3スクリーンだけ保持するこちらは、きっと面積に抵触しなかったのだろう。とはいえ、映画好きとしては本当に嬉しい限りだ。

 

独特な映画のラインナップが並ぶキノシネマ さんで、久しぶりの鑑賞に選んだのは、予告編を見て一目惚れしていた『ビーチ・バム まじめに不真面目』

百聞は一件に如かず。是非見て欲しい。

youtu.be

 

過去に成功を納めた詩人が、今は楽しみ尽くして過ごしていまっせ!

ということがわかるけれど、あとはなんも方向性がわからないこの予告編。

でもまぁなぜか、私は主人公ムーンドッグの「詩の前戯」だけでグッと掴まれたわけだ。

 

「いつか俺は世界を飲み込む」

「その時は全員おっ死ねばいい」

 

心から意味不明だ。

でも彼のヒステリックな笑い声とともに披露されたこの詩は、我々に完全な不正解なんてないのだと、陰鬱とした空気を吹き飛ばしてくれるかのよう。

いや、まぁそれは実際後付けの感想で、こやつの詩は何度聞いてもどうも笑い転げてしまうのが正直な感想なわけだけれども。

 

このムーンドッグ。なんならちょっとした犯罪もしているし、あまりにも現実離れしすぎていて、とても感情移入なんて言葉は出てこない。

ましてや、周囲に助けがいなければ本当に働かないホームレスになってしまうだろうし、どうせ映画だから魅力的に見えるんでしょ?という声は聞こえてきそうだ。

それでも、誰かの目線を気にしてみたり、人の評価を気にして振舞わなければいけない世の中において、彼ほどにぶっとんだ自由奔放な生き方を見せつけられた方が、まじめ人間にはちょうど中和されて良いんじゃないかって思うほどだ。

だから私は声高らかに叫びたい!

全日本人よ、どうかビーチ・バムを見てくれ!

 

人生で初めてDVDを所有したいと思った作品。

この衝撃は、なかなかに大きいものだった。